「ゴホン……では改めまして……”コントローラー”達は1台の高性能量子コンピューターを持っていました。なんとフーディンが足元にも及ばないようなものです。ちなみにフーディンの知能はスーパーコンピューターの5000倍とか言われてるけどホントのとこどうなのかしらね。ブルージーンとチェスを指して欲しいわ。っと話が反れたわね。それでそのコンピューター”HAL”にユートピアの運営管理を任せたのね。人間の手には余るもの、全国民の命なんて。という訳で今までHALがシェルターの管理を行ってきました。具体的には空気中のナノマシンの制御や野生ポケモンの行動管理、クローン食品の製造管理なんかをね。で、そんな凄い凄いコンピューターにHALに今、危機が迫っています」

回復したミトラスがポケモンフードを片手に説明を再開した。トオル達も手にお菓子を握っている。ユウキとしてはミトラスの説明を受けているくらいなら、周囲に広がる春の日の降る原っぱで両手を広げて走り転げたいという衝動に駆られたが、ミトラスがそれを許すはずも無く延々と眠気と戦うハメになった。それを知ってか知らずか、リオはユウキの膝の上でお昼寝中である。

「え〜とね、2038年問題というものがあります。これはプログラムのバグで、なんか2038年1月19日3時14分8秒を越えると1970年1月1日0時0分0秒ってなっちゃう問題なのよ。詳しい事は分からないけどね」

「それのなにが問題なのさ。カレンダーの日付を間違えちゃうだけでしょ?」

トオルが彼なりに要約して突っ込んでみた。確かに今のミトラスの説明だとそれだけの問題に思える。

「人間にはそれだけの事よ。でもコンピューターはそうは言ってられないの。人間みたいに自分で考えると言う事が恐ろしく難しいものだからね。テストが翌日にあるのに日付が今日のままで翌日になっちゃったら、人間は”これは違うぞ”って思うでしょ? コンピューターはそれを疑う事ができないまま誤作動を起こす可能性が高いの」

「……う〜ん。確かにマズイね」


「しかもその場合はテストを受けれないのは自分で自分に迷惑が掛かるだけだけどHALがそれをやったら大変な事になるわ。さっきナノマシンを制御しているって言ったわよね。今ここにもナノマシンが埃みたいに大量に浮いているの。数え切れないほどのそれが閉鎖環境であるユートピアに風を吹かせたり雲を作ったりしているのよ。それだけじゃなくて病気の原因になる細菌やウィルスを殺したり、普通の空気で支えきれないドームを支えるのを手伝っていたりするの。それが2038年問題の影響で誤作動を起こしたりなんかしたら……」

「1人や2人が死ぬ……なんて話にはならないね」

トオルは思わず生唾を飲み込んだ。ユウキもいつの間にかお菓子を口に運ぶ作業を止めていた。

「その通りよ。でも安心して。それを防ぐために私達がいるの。ちなみにリオは2036年問題の担当ね。これはこれでまた別物の問題なんだけど……」

寝ているリオを見ながらミトラスは言いよどむ。そのあどけない姿で門外漢のトオルとユウキに世界を救う方法だと言ってもあまり説得力は無いのは明らかだった。

「……ま、それはまた今度という事で。それでね、私達の頭の中にHALによって作られた修復プログラムが入っているの。それをHALの中に注入すれば事は終わり。後はマイアミでもベガスでも好きな所にバカンスとしゃれ込めるわ。なにか質問は?」

これで話はお終いという形になり、ユウキはやっと解放されると足を伸ばしかけたが、トオルがミトラスに質問する事でその目論見は粉砕される事になる。

「ねぇ、HALが暴走するかもしれないってゆう事だったよね? なんで暴走するかもしれない本人が修復プロ負ラムなんて作るの? ううん、それよりもそれが作れるんだったら自分でどうにかしちゃえばいいじゃん」

ユウキが余計な事をするな、と恨みがましい目でトオルを見るが気付かれている様子は全く無かった。

「あら、いいツッコミを入れたじゃない。そう、普通は間違いを犯す本人が間違いを直す手立てを自分で作るような事をする人間はいないわ。でもね、普通じゃない人間はどうだと思う? 例えば多重人格者」

一息置くためにミトラスがトオル達を見た。理解している様子はない。

「勉強しなさいと怒っている時に電話が掛かってきた時、すぐ笑顔で応対するお母さんの態度よ」

「「あぁ、なるほど」」

理解したようである。

「まぁあれとは全然別物だけどね。あんな感じで自意識が変わっちゃうのが多重人格。正式名称は解離性同一性障害と言って、幼児期に虐待を受けたりした人がなる疾患なの。1人の人間に複数の独立した人格があるってやつね。人格間の記憶は共有されないから発見するのが大変で大変で……」

「え〜と。なんでHALが修復プログラムを作ったの? っていう話をしていたんだけど」

話がとても長くなりそうな予感を当てないためにもトオルは話の軌道を修正しに掛かった。話の腰を折られたミトラスは渋々ながら元の筋へと戻す。話が長くなる事を阻止したトオルはユウキ共々ホッと肩を落とした。

「ん〜とね、HALは量子コンピューターって言ったでしょ? 普通のやつは1ビットにつき0と1の状態のとる事しかできないの。1回に2匹のポケモンしか選べられないみたいな感じかな。それで量子コンピューターは0と1とそれの重ね合わせの状態をとる事ができる。つまり選択肢が3匹に増えた……みたいなものかな。で、HALは更にその3匹を無限に選択できるようにしているの」

絶対に理解していないなと思いつつトオル達の頭を見ると、案の定ハテナマークがコサックダンスを踊っている。

「さっぱり分かんない」

「だろうねぇ。あ、いい例があるわ。トオル、私のモンスターボールを出して」

トオルはモンスターボールを差し出した。ミトラスは受け取ると無理矢理それをこじ開ける。

「ちょ、ちょっと!? 壊れるって!」

「大丈夫。それよりホラ、見てみなさいよ」

ミトラスがモンスターボールの中を見せる。中には何も無く、これと言って変わった事は無い普通のモンスターボールだった。

「……なにもないじゃん。なにを見せたいのさ」

「なにも無いのを見せたかったの。私のボールの中には何が入っていた?」

少し考えてからトオルは思い当たる。

「あの大量にあった銃はどこにいったの!?」

トオルの言った通り、このボールの中にはポケモンセンターから強奪した銃が入っているはずである。なのにそれらしき形の物は何も無かった。

「ビンゴッ! それよそれ! モンスターボールはポケモンを小さくして入れるって言われているものなのに中の物は小さくない。それどころか無くなっちゃっている。じゃあ私や銃はモンスターボールに入っている間はどこに行っているか。さて、トオルには分かるかな?」

意地悪く笑われてムカッときたトオルは必死で考える。考えるには考えるが……

「馬鹿の考え休むに似たり……だな」

「ヘタだよ父さん! ヘタの考え休むに似たりだよ!」

「くそウザイから黙れ馬鹿共」

「「ひどっ!?」」

とても考えられる状況ではなく、悔しいがユウキ達の言う事にも一理あるので素直にミトラスに聞くことにした。

「果たしてそれは素直なのかしら」

「僕がそう思っているから素直でいいの。それで? 結局どうなっているの?」

ミトラスはそれ以上は追求せずに地面に円を描き始める。1つの大きな円を描くとその周りに小さな円を何個か描き、細い線で繋げる。さらにその周りにもっと小さい円を描いて、また細い線で繋いだ。

「これは……」

「真ん中の大きな円が私達のいる親宇宙。それでその周りにあるのが親宇宙から派生した子宇宙。さらにその周りにあるのが孫宇宙……そんな感じで宇宙が広がっているの。インフレーション宇宙論の発展型の宇宙多重創生論ってやつね。この宇宙は事象の地平線によって普通は隔てられているんだけど、ある部分で繋がっている所があるの。ワームホールって知ってる?」

「「……」」

完全に2人は硬直している。今までも意味の分からない説明を何度か受けたが、ここまでくると完全にお手上げ状態だった。

が、ミトラスは端から理解して貰おうと思っている訳ではないらしく、どんどん話を進める。

「ワームホールってのはリンゴの虫食い穴に由来する時空構造のトポロジーのことね。リンゴのある1点から裏側に回るには表面に沿って行かなきゃいけないでしょ? でも虫が中を掘り進めば短い距離でそこまで移動出来るじゃない?」

トオル達はキャタピーがリンゴを掘り進む様を思い浮かべようとしたが、どう考えてもリンゴがサイズ不足になってしまった。

「で、それを作り出すために使われるがまずは量子泡。プランク時間っていう測定できる最小の時間の中で、原子よりちっちゃいそれが浮かんではその巨大な重力で潰れていくの。前からそれを大きくして通れば一瞬で遠くまで行けるとか別の宇宙に繋がるとか言われていたけど、確認する術が無かったのよね。でも、フォトン・ベルトに突入すると状況が変わったの。今まで架空の存在だったタキオンって物質がフォトン・ベルトから検出されてね。人類はそれを制御して使えるようになった訳。質問は?」

聞いても無駄だと思う2人はブンブンと首を振る。

「……じゃあサクサクとね。タキオンってのは光速以上の速度で動いている粒子の事よ。これでもって事象の地平線の外側を観測できるようになった。事象の地平線ってのは光速以上の速度で膨張している宇宙の果てや、光速でも脱出する事の出来ないブラックホールなんかを言った語で、要は光が届かないから人間が知る事が出来なかった物の事よ。全く、補足をたくさん言うのはダルいわね。……それでタキオンを使ってブラックホールの中、特異点を通過した所を観測する事が出来たの。そこに別の宇宙の存在を発見した。ここまではいいかしら?」

「……あのさ……忘れているかもしれないけど……僕達って、小学生だよ?」

「だったら今すぐ大人になりなさい。で、どこまで話したっけ。あぁ、別宇宙の発見の所までね。それに伴ってエキゾチック物質っていう反重力物質の発見なんかやワームホールの作成方法の考案なんかをしたの。詳しいのはその内出るはずの歴史書なんかで調べて。もしかしたらだけど、これからCGAとやり合っていく内に資料なんかが出てくるかもしれないからそれを参考に。私は専門家じゃないんだからね。えっと、それで別宇宙と行き来出来るようになったの」

ここでトオルが手を挙げた。ミトラスはモンスターボールをもてあそびながら発言を促す。

「別宇宙に行き来出来るようになったんだよね?」

「そうよ」

「じゃあなんで住みやすい方の宇宙にいかないの? ふぉとんなんたらが覆っているこの世界から移住しようとかっていう話は出なかったの?」

ミトラスがモンスターボールを転がすのを止める。小学生にこの話が通じるとは思っていなかったので、少なからず驚いたからである。

「……その質問が出来るくらいに理解しているとは驚いたわ。トオルって意外と頭が良かったのね。うん、勿論出たわよ、別宇宙移住計画。でもそれはかなり早い段階でポシャっちゃったの。理由は移動出来る世界が擬似宇宙しかなかったからよ。つまりこの宇宙の地球と同じように行ける宇宙の地球はフォトン・ベルトに覆われているって訳。擬似宇宙以外の宇宙も理論的にはあるはずなんだけど、ワームホールを作っていられる時間なんかを考慮すると今のままじゃ装置の出力が足りないのよね。同じような世界にまた同じようにシェルター作るなんて無駄でしょ?」

「……なるほど。で、結局モンスターボールはなんだっての?」

「そっちがまだだったわね。はぁ、つまり私達はモンスターボールに入れられている間は別の宇宙にいるのよ。モンスターボールはポケモンを捕まえる時には座標をHALに送るGPSのようなものになってワームホールを呼び寄せる端末なの。だから中には何も入っていない。分かった?」

「……分かった、なんて言うと思う? てかなんでこんな話になったんだっけ」

「……なんでかしらねぇ」

話が1段落がついた時にはユウキは完全に撃沈していた。

そよ風が当たりを吹きぬける。少し気の早いワタッコが胞子を散らしながらゆったりと流されていった。

しばらくのんびりとそれを眺めていた1人と1匹だが、急に1匹が叫ぶ。

「思い出した!」

「うわっ!? ……ワタッコに関連した何かだったっけ?」

「ううん、全然関係ないわ。HALがなんで修復プログラムを作ったかって話よ。HALはね、量子コンピューターの中でも異質な存在で、重ね合わせを使う事は勿論、別宇宙にあるHALと同期させる事が出来るの。つまり別の自分に仕事を分ける事が出来るって訳ね。で、この宇宙のHALは狂っちゃいそうなんだけど、他の宇宙になら正常なHALがあるかもしれないじゃない? 実際にあったから私達が生まれたんだけどね。それで対処できるようにそっちの宇宙のHALがプログラムを作ったっていう顛末よ」

「それだったらこの宇宙の人間が直してもいいんじゃない?」

「本来はね。でも問題が発生したの。何故かこの宇宙のHALは自我を持ち始めて、自分が消される事を拒んでいるのよ。今いるシステムエンジニアなんてユートピア完成後に生まれた連中ばっかだし、HALはHALでそいつらに事実を知られないようにしているから問題が起こっている事自体を知らないのよ。ホント、仕事しろっての。2038年問題なんて30年前には解決法が見つかっているんだからホイホイと終わらせられるんだから……。全く、人間の問題は人間で解決しろっての。私達に回すな!」

「なんだか良く分かんないけどヘビーだ」

「30年後は物質変化でも起きているのか?」

ミトラスがしゃがれた声でトオルに言うが、彼の顔に閃くものは無かった。

「……バック・トゥ・ザ・フューチャーも通じないか」

「なにそれ」

50年前の映画のマネをされても困るだけである。

ミトラスは伸びをしてからまた座った。

「さって。面倒臭い話はこれっでおっしまい! つまり私達はワクチンなのよ。分かった?」

そう話を振ったのはトオルがまだ釈然としない顔をしていたからだ。

「うん。ミトラスが何かは分かった。でもさ……それならなおさらリーグとか行かなくていいんじゃない? インターネットで全部のコンピューターが繋がっているんだし、ポケモンセンターでボールを改造したくらいなんだからハッキングだって出来るんじゃないの?」

「勿論真っ先に試したわよ。結果は完敗、こっちの存在も知られちゃってやり難いったらありゃしないわ。そもそも一介の有機コンピューターと量子コンピューターじゃ勝負にならないわよ。でもね、完全無欠な存在なんてこの世には存在しない。HALにも弱点はあるわ。それが殿堂入りの瞬間」

「殿堂……入り」

「殿堂入り!?」

ポケモンに興味が無いとは言いつつも、その前に男の子であるので憧れが無い訳でもない。ましてやユウキなどは水を得た魚のように飛び起きる始末だった。そんな選ばれた者しか入る事の出来ない栄光の間が旅の終点であると彼女は言っていた。

「殿堂入りの時にポケモンを登録するでしょ? あれはまぁ、個体値や努力値なんかを調べるためなんだけど……それをやっているときにあの端末とHALが直通になるの。厳密に言えばHALの遺伝子関係の1セクションとだけどね。でもそこからなら私でもHALの中枢にハッキングが出来る。内からの攻撃には何物も弱いのよ」

「トロイの木馬か」

「そう」

「ねぇねぇねぇねぇ! そろそろ俺に分かる話をしてよ!」

いい加減蚊帳の外に置かれ過ぎて、全身を蚊に刺されたユウキが我慢できずに叫んだ。彼の膝で寝ていたリオが驚いて飛び上がり、ユウキの顎にずつきを喰らわす。きゅうしょにあてられたユウキは面白いぐらい遠くへと吹っ飛んでいった。

「お、お父さん!?」

リオが慌ててユウキの下へと駆け寄る。トオルやミトラスも駆け付けるべきだったのだろうが、腹筋が大惨事になっていたのでとてもそうする余裕は無かった。

「俺は噛ませ犬かぁ!」

ユウキの叫びはトオル達の発作に拍車を掛けるだけだった。





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