「くそっ! くそっ! 畜生!! なんで僕がこんな目に!!」
夜、与えられた部屋に入るなり司は切れた。
備え付けのベットの上にあった羽毛枕を無茶苦茶に振り回して羽を部屋中にばら撒いてみたり、壁に掛けてあった王さまの肖像画を引き裂いたりと心の平穏を求めて我武者羅に行動した。
あの後、街の見学をしたり、国民に発表されたりといろいろな行事に参加した司だったがその全てを朧げにしか覚えていない。ただ、ずっと自分の運命を呪っていた事だけは鮮明に記憶していた。公の場ではずっと外面を取り繕っていたが、その間に溜まった鬱憤が今の彼の部屋の惨状を生み出している。
「くそっ! くそっ! くそぉっ! ……ハァ、ハァ、ハァ」
ようやく疲れたのかベットにバタンと倒れこんだ。あまりの理不尽さにいても立ってもいられなくなり暴れたのだが、逆に空しさが増すばかりであった。
疲れを使い思考を空にして天井を見上げていると誰かがドアをノックしているのに気付く。
「……入るぞ」
「……………あ……え、レナさん!? ちょ、待……」
司が待てと言い終わる前にレナは勝手に入ってきた。竜巻の通過した後のような部屋の状況に彼女は呆れたものの、咎める様子はなかった。
「さすがにこれはないと思うぞ。まぁ私の部屋も五十歩百歩だが」
「え……なんで……」
結婚しようと言ったのは自分なのにと司が思いかけたのを感じたのか、レナが話し始める。
「お前は私がお前を愛しているとでも思ったのか? まぁ嫌いではないが……人間となど……いや、忘れてくれ。とにかく1つ伝える事がある。この結婚は……政略結婚の類だ」
「なっ……!?」
レナの言葉に司は絶句した。一介の高校生と異世界の小国のとはいえお姫様の間で政略結婚なんて成立する訳がない。司がそう言おうとした矢先にまたレナが喋りだす。
「まぁその顔からお前の疑問が読み取れるから黙って聞いてろ。お前は自分がどういう立場の人間か分かっているか? ヒントをやろう。……RI社とモルタージュの間に通商条約が結ばれている。私たちがここに帰って来た直前にだ」
「……!! まさか……」
「分かったか? お前は軍事取引相手の身内という立場なんだ。つまりこの結婚はRI社社長了田遥の弟を人質にしようというものだ。RI社から恒久的に支援を受けるためのな」
今度こそ本当に司は言葉が出なかった。レナの言っている事はつまり……
「すまない。お前に元の世界に戻ってもらうことはできなくなった。少なくとも当面の脅威が去るまでは」
城はとうに寝静まり、歓楽街から聞こえる酔っ払いの遠吠え以外の音はない。
日本では決してありえない程の静けさ。その中に司は取り残されようとしている。
いや、誰が取り残されるものか。絶対に戻ってやる。司は怒りで、理不尽さに向けた怒りで諦めを断ち切る。
どんな手段を使っても、どんな手段を使ってでも戻ってやる!
沸々と浮かび上がる負の感情に蓋をし、来るべき時まで圧力を高め、エネルギーを溜めるよう脳に要請した。
来るべき時まで……それまでは……
「大丈夫だよ。ゆくゆくは王様になれるなんてサイコーじゃん」
「……」
笑顔でそう言った司にレナは返す言葉が見つからなかった。
夜が更ける。
*
「さて司君に来て貰ってからもう3日目なのだが……すまないが王位は当分譲る事はできん。そこで問題になるのはこれから何をやってもらうかだ。今の君の位置付けは王子だ。そして王子の役割は総指揮官だ。これは普段やる事がないから建前として、というものだったが今は有事に瀕している。という訳で頑張ってくれ」
「あ、朝っぱらから凄いいきなりですね」
昨日のように食堂に降りるとライオンが一気に捲し立てた。あの後結局寝付けなかった司の頭にはその声は少々大き過ぎる。
「うむ、実は君のお姉さんからの支援物資が朝一番で届いてな。だが使い方が全く分からん。どうやら飛ぶものという事だけは分かるんだが……」
「戦闘機でも送ってきたんでしょうかね。あの、姉さんから何か説明を受けましたか?」
司が聞くとライオンは親指を立て、「司が知ってる……と思う! で通信が切れてしまった」と言った。
「……ハハハ全く知りません」
「なんとなくそうだと思ったが、まぁエア女史なら知っているだろう」
「あ、なるほど」
噂をすればなんとやら、そこに丁度エアが降りてくる。ライオンが早速質問をすると「飛行理論が同じ限り理解しています」という答えが返ってきた。アビオニクスが飛行機の動かし方を知らなかったら何のために存在するのか分からなくなるため、当然と言えば当然である。
最後にレナが降りてきて別に決まっていた訳ではないがメンバーが揃った。そこで王さまは一行を支援物資のある中庭に案内する。そこにはちゃんとした戦闘機があった。司が予想していた戦闘機とはかけ離れ過ぎていて「これは……」と言ってフリーズするような代物ではあったが。
「まぁこれ位で十分だろう。厄介な弟も消えたし余分な対価を得られたしラッキー……って所でしょうね。遥様なら」
絶句をしたままの司にエアが真っ直ぐ言い放った。
彼らの目の前にはF−5が4機鎮座していた。かのベトナム戦争で活躍したF−5である。さすがにA型ではないにしろ骨董品である事に変わりはない。
「……何を対価として払いました?」
「金地金で100キロだ」
王さまの答えに計算を開始する司。ちなみに昨今の金相場は1グラム2500円程度である。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……約2億5000万!? F−5ってもう1000ふぁが……!!」
「で、これをどうすればいいでしょうか」
1000万以下じゃないの、と言いかけた司の口をエアが塞いだ。かなり強く手を押し付けられているため、司は呼吸困難に陥る。
エアの魔の手から逃れようと必死になっている司を完全に無視して王さまが話を進め出した。
「うむ、分かっていると思うが私たちにこれの飛ばし方は全く分からん。という訳でこれの飛ばし方の指導、及び部隊の指揮を任せたい。それでそうだな。今日は取り敢えず飛んでいる所を見てみたいな」
「分かりました。司がしっかりやってくれるでしょう」
思いが通じたのか、いつの間にか移行していたエアのヘッドロックから司は抜け出した。それから間髪入れずに今の会話にツッコミを入れる。
「ちょっと! 僕はパイロットでもなんでもないよ! しかもセスナならまだしもいきなり音速の世界に突っ込めと!?」
「そうです」
「あ、あのな……いやなんでもないです」
このまま話し合いを始めると禅問答になる事は目に見えていたので司は諦めて口を閉ざした。彼にとって音速の壁は諦めにより乗り越えるものらしい。
「……ってやっぱいきなり音速は無理だろ……クラフトの事はノーカウントだよ! あれは操縦してないし。うん……無理無理無理! Gで気絶するのが関の山だって! 最悪ベイルアウトも出来なくなる!」
『と、言うと思って特製耐Gスーツを作ってきました〜! じゃ〜ん』
「うおぅ!?」
何の前触れもなく司の真横に遥のホログラムが現れた。どうやらどこにでも現れる事が出来るようだ。
あまりに突然の事だったので司はひっくり返ってしまう。いきなり現れた事に文句を言おうと飛び起きたのだが、遥のホログラムの手に持たれている物を見て考えが吹き飛んでしまった。
「……着ぐるみ?」
『な!? 失礼な! RI社の全技術の結晶よ!? それを着ぐるみの一言で片付けるなんて! まぁいいわ。これはバイオスーツって分類するのかな? まぁ着たら皮膚と癒着し始めて……』
「待て待て待て待て。僕の聞き間違いかなぁ。……癒着する?」
『大丈夫!』
遥は親指を立ててウィンクをしてきた。その美貌と相俟ってかなり扇情的な構図だったがそれでなびく司ではない。
「いやいやいやいやそんな事したって着ないもんは着ないよ! 大体こんな状況になったのだって姉さんが大丈夫なんて言った物に乗っかってなっちゃったんだから!」
『あれはアンタの時に使うんじゃ……なんでもないわ。説明を続けるわね。で、そっちの世界から血液サンプルを送って貰ったのよ。だってこんな変なのの遺伝子がどうなってるのか気になるじゃない? で、超速で調べてみたらもう驚天動地の満員御礼よ! 水素結合かと思っていたらシアン化水素で結合しているし。そりゃ銀の弾を撃ち込まれた死んじゃうわ。銃弾+青酸カリだもの。死ななきゃ逆に怖いわ。でもこれだと金の弾でも普通に死ぬわね。……雰囲気の問題よね! 昔の人はケチだったなんて考えるのは罰当たりだわ。あっと話が逸れちゃった。それでね、人間の配置と比べてみたらなんと99.999999999999999999876パーセントまで合致してるのよ。私ビックリしちゃった。で、今回はレナ姫のDNAと司のDNAを混ぜて……』
「聞きようでは破廉恥でもありますしグロテスクでもありますのでもう少し言葉を包んでみてはどうでしょうか」
赤面して吐きそうになるという離れ業をやっている司を見ながらエアが言った。
『うん? あぁ そうね。考えようによっちゃぁ2人の子供でもあるものねぇ。悪かったわ。で……』
遥の説明は延々と続くが誰も聞いてはいなかった。レナは司の反応が気になり、エアにスーツの概要を聞く。エアが懇切丁寧に説明し、理解すると司のように赤面して俯いた。
『……そこで登場するのが我が社のクローニング技術で……って聞いてる? あ〜面倒になったから説明止めるわ。百聞は一見に如かず。着心地を教えてね! じゃ、通信終了!』
「WILCO. しっかり着せてみせます」
エアの答えに満足そうに頷くと、遥のホログラムが消える。消えた場所には遥の持っていた狐の毛皮を人間のサイズまで無理矢理引き伸ばしたような体裁の”RI社の全技術の結晶”が残されていた。
「これはまた……なんというかその……」
「「グロい」」
畳まれていたバイオスーツを広げてみると無駄に瑞々しく、且つ生々しかった。司の感想も一同が漏らしたものと一緒である。
「……この矢が付いているという事は裸で着るのでしょうか」
エアが着ぐるみの下腹部を見て呟いた。皆の視線がそこに集中する。それなりに大きいものが付いていた。
「司、少し見直しました」
「う〜む。ヒトは見掛けに依らぬという事か……」
「……」
「ちょ、ちょっと! そんなジロジロ見ないで! あ、コラエア!? 計っちゃダメ!」
一同は司のモノの大きさについて無遠慮にコメントし、終いにはエアがモノを計ろうとしたので司は必死で止めた。
「……では着てみましょうか」
「こんな脱げるか分かんないものを!? 無理不可無理不可!!」
「じゃあ試しに手を入れてみてください。試しでいいですから」
「う〜」
仕方なく司は着ぐるみの中に手を入れてみる。彼の手にベチョッ、という感覚が来た瞬間に着ぐるみが吸い付いてきた。「━━!!!!!」と声にならない悲鳴を上げて必死で振りほどく司。
「ぜぇ…ぜぇ……ホラ、危な……あれ、ウィロー? なんでここに? ちょ、ちょっと? なんで腕掴むの!?」
「すみませんッス。王さまの命令ッスから……」
司が恐慌状態に陥っている間に現れたウィローが司を掴み、城内に向かって引き摺りだした。
「ちょ、王さま! どういう事ですかぁ!」
「面白そうなので着てみたまえという事だ。ウィロー君、宜しく頼むよ」
「はいッス!」
「ウィローぉお!! 一緒に酒飲んだ仲じゃないかぁ! 友を裏切る気か!?」
「まだ飲んでないッスよ。司」
最早誰も聞く耳を持ってくれなかったので、司はそのまま連れて行かれた。彼の消えた入り口から断末魔の叫びが聞こえた気がしないでもなかったが、決断を下した王さま以下4名は知らぬ振りをする。
━━数分後、司が皆の前に泣きながら現れた。
「あんまりだ……いくら適応力が高いとか慣れているとか思っていたって……これじゃあ……」
ベソをかきながら出てきた司に肌の露出している部分は無く、全身を金色の毛が包んでいた。顔はレナにどことなく似ているが、彼女のように攻撃的な感じを醸し出すエッジのきいたものではなく、パピーという言葉が似合いそうな丸みを帯びたものだった。それが司の声を出すので少し違和感があるが、慣れるとそういうものかなと思える程度である。
司は完全に狐獣人になっていた。
「これは……着てみる、と、随分、か、か、か、可愛く、く、く、なりましたね……うく」
エアは例のヒクヒク顔をする。司が殴りかからなかったのは今から彼女に操縦法を教わるからだった。それがなければ釈迦に彼女を紹介する予定を入れている。
「ハッハッハ。とても似合っているよ司君。どうだい? 獣人になった気分は。まぁ形だけだが」
「なんか……すっごく周りが騒がしいです。後臭いがハンパない……でも色はなんかあまり無い」
「ほう。どうやら全部変わったようだな。便利なものだろう」
学ランを着た狐はふらふらと揺れた。まだ情報の多さに慣れてなく、軽く酔ったような状態になっていたのだ。そんな状態で歩き出したので転びそうになる。そこをレナに助け起こされた。
その瞬間、司はなにか甘いものにあてられる。
「うわぁ……なんか……甘い……」
「? どうしたんだ司? おい。おい!」
急にトロトロと目が死んだようになった司。原因が分からずレナは「起きろ! 寝たら……寝ても死なないが話が進まん! ほらしっかりしろ!」と言いながらビンタを連発する。
司が急に死んだようになった理由を知る王さまが現状打破のために口を開いたのはビンタにより司の顔が2倍に膨れ上がった時だった。
「レナ、司君から離れてみなさい」
「? ……分かりました」
レナが司から離れる。しばらく待つと司の意識は回復した。彼は腫れ上がった頬を擦りながら起き上がる。そして異変に気付いた。
「……痛い。着ぐるみの癖に衝撃を……あ、あれ? なんで頬の感触があるんだ? さっきまであったベチョって感じも無くなってるし……!! チャックが無くなってる!? 嘘ォッ!?」
なんとなく試してみたい事があり、慌てて着ぐるみを脱ごうとする司に気付かれないようにエアが彼に近づく。そして彼に新しく生えたフサフサの尻尾の毛を1本抜いてみた。
「ギャンッ!?」
いかにもな声を上げて転げまわる司。エアは更に何本か抜いてみようと手を伸ばしたが、王さまがやんわりとそれを止めた。
「ほらほらエア女史。手負いの獣は危ないぞ」
「……そうですね。では時間が勿体無いのでサクサク行きましょう」
彼らは司を置いて離陸の準備を始めた。レナやメイやウィローも同情の言葉を投げかけてはくれたが所詮はそれだけで基本的な行動はエアと全く一緒だった。
「皆僕の事を何だと思っているんだぁぁぁあああ!!」と、叫びたい衝動に駆られた司だったが、玩具だとか実験台だとかいう答えを聞く羽目になりそうだと判断したため、言う機会は永遠に失われた。
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