藤田トオルはどこにでもいる普通の少年である。

トトポケバに連日金をつぎ込んだり、父が日本の安全を守っていたり━━もっともトオル自身は父は単身赴任でどこかに言っているとしか聞かされていないし、日本という国名を知らない。というよりも国という概念がない━━しても、あくまで普通の少年であるというスタンスを崩さない。


そんな彼は10歳の誕生日を迎えたので、普通の子と同じく近くの研究所にポケモンを貰いに行った。実際にはそこまでトレーナーになりたいと思っている訳ではないが、最低で4年間、最長で8年間は世界中を旅しなくてはならないという義務教育のようなものだったので、特に志す所なく逆に旅なんてメンドクサイな〜と思う始末である。

この非常に面倒なシステムからどうにか逃れようと整合性のなさを証明しようと小5なりに真剣に考えた事の多々あるトオルだったが、何分興味のない事には集中できない質なのでそこまで深く掘り下げられている訳ではない。よって教師を説得するには至らずに旅を容認する事になった。


この時点で既に上で述べた普通の子からかなり逸脱しているが彼にはその自覚はない。父が父なら子も子である。

「なぁトオル。お前ポケモンなににする? 俺はやっぱ炎タイプだな! 俺の中の魂の波動と連動して強さ十倍だぜ! みたいなノリでリーグをどんどん制覇していくんだ。って聞いてるか?」

春の風を全身に浴びてぼ〜と将来の進路を考えながら自転車を漕いでいたトオルに幼馴染のケンジが喋りかけた。トオルとケンジは同じ日に生まれ、親ぐるみの付き合いで育ち、同じ幼稚園に入れられ、同じ小学校に入学し、同じ日に町から出て行こうとしている。いわゆる腐れ縁である。この様子だと縁の鎖は死ぬまで腐り落ちる事はないのかもしれない。

「えっ!? うん、聞いてるよ。燃えよ俺の小宇宙コスモよ! だよね」

「なんだそりゃ」

「パックフラッシュ」

実際には聞いていないので適当な事しか言えないトオルと、彼の使った30年前のネタに付いていけないケンジだった。

「……まぁいいや。で、お前はなにポケモンにするの?」

「え〜……手先が器用で……なんかイカサマするのに役立ちそうなポケモン。……でもそれに使えそうなポケモンが分かんない」

藤田とその妻はどこで教育を間違えたか一度しっかり検討したほうがいいのかもしれない。

「それならエスパータイプがいいんじゃね? 念力とかでサイコロを動かせば好きな目を出せるし」

こんな答えが帰ってくる事を幼馴染だけあって予想していたケンジがアドバイスを出した。折角同じ誕生日に旅に出るというシチュエーションなのに相手がポケモンに無関心というのはとても勿体無いからだ。少しでも興味を引いて良きライバルとしてお互いを研磨する存在にトオルにはなって欲しかったのだ。

それを思いが届いたのか「そだね。じゃあエスパータイプってなにがいる?」とトオルが聞いてくる。ケンジはこのチャンスを逃さないうちにとエスパータイプのポケモンを思い浮かべようとしたが、炎タイプにしか興味が無く、ポケモン学の授業を課外授業以外寝て過した彼にその質問は少し酷である。

「……ん〜……あ、研究所に着いたぞ。中で博士に教えて貰おうぜ」

ここで研究所に着けたのはケンジにとって本当に僥倖ぎょうこうだった。











「ようこそ新しいトレーナー君! 当研究所は君を歓ゲッ!?」

研究所に入ると名前は忘れたが確か高名だった博士がそんな叫び声を上げて迎えてくれた。徹夜でもしたのか目の周りが壮絶な事になっている。

博士というよりはエンジニアといったほうがしっくりくるこのがたいの良い博士は、高名な割に論文を書く速度が異常に遅いらしく、自身の研究内容の講演を小学校で年に1回やるのだが、トオルが小1の時の講演と小5までの間の講演で発見できた違う内容はえ〜とかあ〜の回数くらいだった。

「……君達って二人とも今日が誕生日?」

最初に驚いてからフリーズを続けていた博士だがようやく自己解凍できたようでトオルとケンジにそう質問してきた。これに頷きで二人が肯定すると「ちょっと待っててね」といって奥に引っ込む。トオルが聞き耳を立ててみると助手か誰かを罵倒しているのが聞こえた。

「……ポケモンの数が足りないんだって」

「あ〜そういえば今月生まれた奴ってうちらの町、やたらめったら多かったもんな。おかげで財布がスッカラカン。……でもおかしいな。ここにちゃんと2個モンスターボールがあるのに」

ケンジの言う通り、博士の研究用パソコンの横にモンスターボールが2個ある。中にはヒノアラシとラルトスが入っていた。

「ヒノアラシ、君に決めた! ゲットだぜアンドエスケープだ! 行くぜトオル。そのラルトスを貰っちまえ。俺達にはポケモンを貰う権利があるんだから博士のポケモンだろーがなんだろーがそれは合法的に受け取る事ができるんだ。書置き残してさっさとズラかるぞ」

「……炎タイプを見るとホント見境がなくなるよなケンジ。そんなにこのヒノアラシが欲しいの?」

「あったりめぇよ! ほら行くぞ!」

ヒノアラシに一目で惚れたケンジがすばやく書置きを残しモンスターボールを強奪する。乗り気でないトオルにラルトスの入ったモンスターボールを押し付けるとそのまま彼の手を引いて研究所から一目散に逃げ出した。

━━10分後、

「ごめんごめん待たせたね。悪いんだけど今渡すことのできるポケモンは1匹しか……あれ、いない」

博士が頭を掻きながら奥から出てくる。が、トオル達はとっくの昔にトンズラをしている。博士はため息を吐くと、応接用のソファーに身を投げた。それから白衣の内ポケットからタバコを取り出し火を点ける。煙を肺いっぱいに吸い込んでからホウッと輪の形にして吐き出す。

「……生き返るぜ。十日ぶりだな愛しのマイルドセブン。今月は厄月だホントに。おい、田辺! バカルディ、あるだけ持って来い! 今夜は宴だクソッタレめ! まさか新トレーナー用のポケモンの中にハイギフテッドが紛れているとは思ってもいなかったぜ。おかげで先一昨日はCGAに報告しに行くハメになったし、一昨日は学会に報告しに行かなきゃなんなかったし、昨日はCPSAに予備のポケモンを貰いに行かなきゃなんなかったし……てか今日も催促しに行くのか……ダリィ。おい、このファッキンラルトス! テメエのせいで俺は強制禁煙……」

これまでの鬱憤を一気に漏らしながら博士はその元凶を見た。ハイギフテッドが発生した原因についてのメールをしているパソコンの横に、件のラルトスが入っているモンスターボールがあるはずだったが、そこには赤と白のコントラストは全く無かった。

「……お、おい田辺。お前ここにあったラルトスどこにやった?」

「知りませんよ〜。僕が見てみたいって言ったら烈火の如く怒っていたのは博士じゃないですか〜。あ、博士、すみません。そういえばバカルディ切れていました。この前ダチん家で飲み会した時に全部持ってって回し飲みしたんスよ。……キュラソーならあるんですけどそれでいいッスか?」

「バッ!? あれはお前、俺が徹夜で1から作った奴だぞ!? なに勝手に飲んでんだ!! ってそんな事はどうでもいい! 本当に知らないんだな!?」

「知らないッス。あ、ボルドーがある。2000年物じゃないッスか。今日の宴はこれで決まりッスね」

後できっちり締め上げる事を決めてから博士はソファーから離れたがらない重い体を上げてモンスターボールを捜そうと机に向かう。そこで見たものはこんな文の書かれた置手紙だった。

『ポケモンは頂いた。ヒノアラシLOVEです』
 

「……んぁのガキども…………」

何度読み返しても子供の文字にしか見えない。博士はトオル達が犯人だと断定した。

「田辺! お前にチャンスをやる! 今日中に今来たガキどもの居場所を見つけてラルトスをここに持ち帰って来い! いいか今日中だぞ! コンマ1秒でも遅れたら大陸情報課に転属命令を出すからな!」


「え……無理無理無理無理ッスよ!! なんスかガキどもって!? 僕見てないッスよ子供なんか!」

「バカルディを飲み干した罪はそんくらい重いんだ! ツベコベ言わずにさっさと行って来い!」

田辺助手はこれ以上変な事態にならないように研究所から逃げ出した。だが当てなど勿論ないので、駆けて行った先はハローワークである。












その頃、トオルとケンジはというと、無事に町から逃げ果せていて隣町との間の道路を爆走していた。裁判ではどう判決が下されるか分からないが、準窃盗罪みたいな前科を持つことは二人ともゴメンだったからだ。そんな感じだったから勿論親と別れの挨拶をしたりしている暇は無く、家には寄っていない。もっとも初めからポケモンを貰ったらそのまま町を出て行けるようにしていたのでそんなに問題はなかった。

「はぁ……はぁ……撒いた、みたいだな」

「ぜぇ……ぜぇ……ぼ、僕は、ケンジ、みたく、体力、ない、んだか、ら……もう二度と、こんな事しないで」

二人は自転車を道の脇に止めてからそこらに生い茂る草むらに体を預けた。しばらくは息を整えていたが、動悸が納まるとどちらともなく笑い出す。

「……一度町でジュンサーさんに出くわした時は死ぬかと思ったね」

「あれはニトロが必要だった。いやホントに」

冗談を言ってまた笑う。

二人とも今、決して誉められる事ではないが、それをやった達成感と今から冒険に出るんだという希望に満ちていた。ある意味、暢気でいられた子供時代の最後の思い出として、こんな事をやってみたかったのかも知れない。

先に立ったのはケンジだった。

草を揺らした風がそのまま彼の髪を撫でる。なんでもない光景なのに、当分見れなくなるんだと思うとトオルに変な感慨が生まれる。

「俺は……へへ、あまりガラじゃねぇな。こんな事言うのは。うわっ、こういう風に言おうとするとムッチャ恥ずかしいな」

「恥ずかしいのはいつもの事だろ?」

「うるへえ! ……よっし! 言うぞぉ! 俺は! 最強の! 炎ポケモン使いになって! 炎タイプのジムリーダーになってやる! それまでは帰って来ないぞぉ! だけど寂しがるなよみんなぁ!」

ケンジが町に向かって叫ぶ。変な気分になっているのはどうやらトオルだけではなかったようだ。

「……うっし。じゃ、トオルの番」

「えっ!? 僕はいいよ。そんな恥ずかしい事。大体考えてないし」

「お前それでも俺のライバルか!」

「うわぁ、そんな恥ずかしい単語初めて聞いたよ……」

「チャカすな! じゃあ……憧れのポケモンマスターになってやる、で」

「ケンジのより数倍恥ずかしいな!」

だがこれで当分会えないのなら、腐れ縁の頼みの一つくらい聞いてもいいだろう、この時トオルは不覚にもそう思ってしまう。

「……僕は! ポケモンマスターに! なってやるぞぉ!」

トオルがそう叫ぶとケンジの方からピッと電子音がした。そっちを向くと携帯を操作している。

「よっし録音完了。じゃな、トオル。頑張ってポケモンマスターになれよ」

「え!? あ、コラ待て! ……やられた!」

ケンジに録音されたのは取り返しのつかない事態だった。このままでは死ぬまでからかわれるとデータの消去をしようとしたが、その時には既にケンジはトオルの手に届かない場所に逃げていた。

「ポケモンリーグで俺に勝ったらデータを消してやるぜ! 勝てなかったら顔を合わせる度に聞かせてやるからな! だから頑張れよ! じゃあな!」

そういうとケンジは自転車を漕ぎ出す。どんどん小さくなる背中にトオルは叫ぶ。

「ケンジ! 絶対お前を倒すからな! そんでもってお前の好きな人を表彰台でバラしてやる!」

ケンジは振り返らずに手を振った。その後見えなくなる。トオルはしばらく彼の去った道を眺めていた。

「さって。僕も行くか」

そしてトオルは進みだす。











真夜中の12時を回った。田辺助手が帰ってくる様子はない。博士はしゃーねーなと呟き携帯を取り出す。

「もしもし……CGAか? 俺だ俺。 あぁ? 詐欺だぁ? バッカやろ、俺の確認なんかワンクリックでできるだろうが。それよりあれだ。ハイギフテッドが盗られた。あ〜レベル5のやつだ。犯人は二人組みのガキだ。今日この町を出て行った。捕捉を頼む。もし”オーダーズ”が動くんだったらハイギフテッドを殺さないように言っといてくれ。俺が解剖したいからな。ああ、頼むぜ。……んあ? 査問会? してーならテメェの足で来いってタヌキジジイどもに言っとけ!」

言い終わるとオペレーターの言葉を待たずに携帯を叩き切る。八つ当たりなのは分かっていたが、こうでもしないと胸のモヤモヤが晴れないからだ。

「……ぜってぇ逃がさねぇからな。ミトラス。覚悟しとけよ」

紫煙をくゆ らせながら、博士は呟いた。





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